昨年の8月12日に書いて公開せずにいた文章です。少し過激なので公開しなかったように記憶しています。現在も考え方は変わりません。くろまるの体調が悪くその責任も感じていたのかも知れません。(くろまるの死去の1週間前ですから)愛犬を守るドッグリードを作りたい、愛犬とその飼い主に楽しい生活を過ごしてほしい。その気持ちは変わりません。
人は社会的に守られる存在ですが、愛犬は飼い主の責任の中でしか守られることはありません。豪雨の被災地で、犬猫にも避難所を用意して欲しい、ペットと一緒に避難できる避難所が欲しいという声がありますが、残念ながら、その要望を全ての自治体に要求することはできません。そういう余力は一部の余裕があり、被害の少なかった自治体にしかありません。
愛犬のために自らの命を危険にさらしてもいいという人は飼い主であっても稀でしょう。ですから、被災地の方々はそういう要望はしていません。要望をするのは、そういう被災地の様子を遠くから見た傍観者だけです。(さらにいえば、要望はしてもそういう状況にある犬を保護しようとする人はさらに少ない)
人とペットの関係はそういうものですし、ヒステリックになったり、感傷的になっても、ペットの環境がよくなるのは一時的なものにすぎません。
酷暑の中、花火や雷で脱走し迷子犬になる犬が増えています。ツイッターなどで「見つけてください」「保護しました」という書き込みが多くみられます。花火や雷で犬が通常と異なる行動をするというのは常識です。ですから、それを管理できないというのは、愛護センターに犬を預けるのと本質的には同じではないでしょうか?飼い主の小さな不注意が原因かも知れませんが、しっかりとした知識もなくうっかりペットショップでかわいい子犬を買ってしまい手放す人の不注意と本質的には大差はありません。